【ひめゆり「退屈」入試問題】この文章のどこが問題なのか
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<ひめゆり入試問題>青学高等部長らが元学徒訪れ謝罪へ
青山学院高等部(東京都渋谷区)の今春の入試で、元ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた」と感じたという内容の架空の英語感想文が出題された問題で、同高等部の大村修文(ただふみ)部長ら4人が13日、謝罪のため元学徒たちが証言活動をしているひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)を訪れた。大村部長は謝罪を前に報道陣に「申し訳ないの一言に尽きます」と語った。(毎日新聞)

■私はこのニュースにずっと違和感を感じていました。
だって、常識的に考えてですよ、あの伝統ある青山学院高等部が元ひめゆり学徒の皆さんを誹謗するような内容の文章を題材とした出題をするなんて考えられないじゃないですか。

■私はこの入試問題の全文を読んでみたいと思っていたところ、ようやく全文を読むことができるサイトを発見しました。




ここです。(「オークランド憂国日記」さん)
(要旨)
戦後60年が過ぎ、後20年もすれば戦争を直接経験した人等から戦争体験を聞くことができなくなるがこの大切な経験を残し二度と間違いを起こさないためにどのような形でこの経験を次の世代の伝えればよいのだろうか?ある日TVで戦争の記録番組を放送していたので見ていると兵士の無残な死体などが写り、こわくて見ていられなくなってチャンネルを代えてしまった。あまりにも無残な映像などを見せると興味深い番組でも自分のように見なくなってしまう人が多いのではないだろうか?と思っていたときその番組を支持するお年寄りからの手紙を読んだ。“写真を見せてくれてありがとう、言葉ではもう直ぐ直接伝えられなくなることも写真でつたえられるのだから、真実を見せることを恐れるべきではない”とそこには書いてあった。その手紙を読んだ後私は高校の沖縄就学旅行を思い出した。最初に戦時のままに残された防空壕を見学に行った。口数の少ないガイドに案内され、はじめは都会から来た子供等にはちょうどいい遊び場のように見えた防空壕で騒いでいた。この中でキャンプしたら面白いねという子、滑って転んで爆笑を誘う子、そんな中少しづつ電気が消され最後のあかりが消されたときに防空壕の中は真っ暗闇になった。そしてガイドが言った“これが戦争です。私たちがただひとつこの中で望んだのは生き残ることです”もう誰も何も言わなく、いえなくなり当然笑い声も無くなった。やっと外にでられ神に感謝するような気持ちになっているとき、泣いている女の子がいても驚かなかった。口数の少ないガイドだったが、我々にはその経験自体がどのような意味を持つのかを理解した。そしてなぜガイドの口数が少なかったのかも理解できた。
(ここから全訳)
その後ひめゆり記念公園に行った。そろそろ壕のことを忘れかけてはいたが、もっとショッキングな話がこの後あるのではないかと恐れ我々は無口になっていた。確かにひめゆり部隊の生き残りのお年寄りが話す内容は衝撃的で戦争のイメージをよく伝えていた。しかし本当のことを言えばそれは退屈で、私は彼女の話に疲れてきた。彼女が話せば話すほどに壕で受けた強い印象は薄れていった。彼女がその話をいろいろな機会に何度も話しており、とても上手になっているのがわかった。彼女の話はまるで母親が小さい子供にするおやすみの時のお話のようにやさしく聞こえた。 もちろん幾人かの友人はその話に強く感動を受けた。だから彼女の話がまったく意味のないものであったとはいうべきではない。真実や戦争の経験を次の世代に渡すことは大切な仕事である。しかしいかにして?何が一番よい方法なのだろうか? もちろん言葉は一番はっきりとしている方法ではある。言葉の持つ力は強い。でも問題はどのようにそれを受けてが理解するかである。もし聞き手が話し手の思想を理解しなければよい話もただの言葉の羅列になってしまう。またもうひとつの問題は話し手の意見が強すぎる時であり、それはその話自体に違った意味を与えてしまうことがある。この夏中国で行われたサッカーの試合を覚えているだろうか?多くの中国人が日本チームにブーイングをした。多分その中の多くの人が親から戦争の話を聞き日本に対する考えを作り上げたのであろう。もちろん彼等が親から聞いた情報が間違っているとはいうべきではない、しかし親たちは彼等にまさに何をどのように伝えたのだろうか? 
(ここから要旨)
戦争を第一次的に体験した人たちからその話を聞く機会は近い将来なくなるが直接のことばが無くともそのメッセージを伝えることは可能である。皆さんが青山学院の高校生になると長崎に行き、原爆体験者のお話を聞く。そのとき皆さんはどんな思いをもたれるのだろうか?

■どうでしょう?
元ひめゆり学徒の皆さんを誹謗するどころか、「平和の尊さ」を訴える素晴らしい内容の文章じゃないですか。

風化しつつある戦争の悲惨さを如何に次世代に伝えるのが適切かを問うこの文章。
筆者の、平和への熱い思い、二度と戦争を起こさないという強い決意を感じ取ることができます。

■にもかかわらず、「退屈」という一部分のみを取り上げて批判的な記事を書いた新聞記者。
どこの社の記者か知りませんが、呆れてものが言えません。
この記者は日本語を読み解く能力がないのでしょうか?

■今回、青学の関係者はひめゆり学徒の皆さんのもとへ謝罪に行きました。
しかし私はこの記事を書いた新聞記者こそが謝罪に行くべきだと思います。
青学関係者のもとへ。
これは第4の権力マスコミによる卑劣な人権侵害のように感じますね。

■青学には多くの批判メールが来たようですね。
この人たちは、日本人独特の集団ヒステリーに陥っているように感じます。
戦前における「お前は非国民だ!」と同じですね。

■亡き山本七平氏が言っていますが、日本人の共同体的メンタリティーは戦前も戦後もあまり変わっていません。
「お前は非国民だ!」が「お前は平和の敵だ!」に変わっただけ。

■日本人ってのは確固とした原理原則がありません。(宗教がない)
なのでその時々の「空気」(ニューマ)の影響を多大に受けてしまいます。
「空気」によって、ことの良し悪しが決まります。

■空気に逆らえばそれでおしまい。
猛烈な批判を受ける。
「元ひめゆり学徒を馬鹿にするな!お前は平和の敵だ!」と。
そこでは全く実証的検証は行われません。

■日本人は、平和の大切さを理解すると同時に、いやそれより先に、この共同体的なメンタリティーを何とかしなくてはならないと思います。
再び過ちを繰り返さないために。

【追記】この問題を最初に取り上げたのは「沖縄タイムス」の記者だとわかりました。

【オススメ本】
日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条
山本 七平 / 角川書店
スコア選択: ★★★★★

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by asatte_no_houkou | 2005-06-17 14:17 | 歴史を考える
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