皇室の意義とは何かについて考えます。 ■日本は、ムラ社会である。 村落共同体で暮らす村人が集まった社会。 欧米のように共同体からの自由を目指す宗教的伝統がなく、しかも中国のように王朝が変わるごとに土地所有権が無効になってしまうことがない日本。 土地を媒介として成立した集団が形成され、その帰属意識が生まれる。 ■ムラ社会では、人は、仲間の村人の「眼差し」によって規範される。 1、同じムラに所属することによる仲間意識。 2、仲間はずれになるという不利益制裁である「村八分」。 これらがムラ内部における規範の基礎となるのである。 ■それ故、村人たち(日本人)は、閉ざされたムラ社会内部にしか目が行かなくなる。 村の外のことなんてどうでもいい。 旅の恥は掻き捨て。 ■しかしそれでは国としてやっていけない。 近代国家としての体をなさない。 国家レベルの規範にも、村人に目を向けてもらえるようにしなくてはならない。 ■ところで、規範というものは、決定の「正しさ」に裏付けられなければ誰も従おうとしないものである。 「正しさ」とは、正統性と言われているもの。 規範というものは、正統性がなければ無意味なものなのである。 ■不満があろうと、人々がその規範に従うのは、そこに「正しさ」つまり正統性があるから。 正統性があるから、納得して従おうとする。 「決まったことなんやから、仕方がないわな」と。 もし決定の正統性が揺らぎ、人々が決まったことを決まったことと認められなくなったときは、その社会は混乱してしまう。 ■日本において、ムラの範域を超える、国家レベルの正統性として機能する装置があるのか。 もしあれば、村人は国家レベルの規範に従うようになり、近代国家として日本はやっていける。 近代国家になれるか、なれないか・・・ ■伊藤博文。 旧千円札でお馴染みの伊藤博文。 日本に、ムラの範域を超える国家レベルの「正しさ」があるのかを考えた。 伊藤は天皇に目を付けた。 伊藤は、天皇をムラの範域を超える「正しさ」の供給源として召還した。 近代天皇制のスタート。 ■権威。 権威とは、要するに何が正しくて何が正しくないかを決める存在。 つまり規範を定めるもの。 天皇が、国家レベルの規範を定める権威となったのである。 ■戦後、大日本帝国憲法が改正されて日本国憲法ができた。 天皇は象徴となった。 日本国の象徴であり日本国民統合の象徴。 ■では天皇に権威はなくなったのか。 いや、そんなことはなかった。 日本国憲法は、帝国憲法に基づいて天皇陛下が公布している。 現憲法は天皇が公布しその権威を与えているのである。 国民の総意によって象徴として押し立てた天皇陛下の御意思によって日本国憲法が正統化されているのである。 【参考文献】 宮台真司著『憲法対論―転換期を生きぬく力』 「アホなオレやけど、今日は天皇について考えてみた―その2」へつづく 人気blogランキングへ 【オススメブログ】 ++『激論!映画と本』ブログ++
by asatte_no_houkou
| 2005-10-08 02:37
| 国家・ナショナリズム・愛国心
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