アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その4
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前回の続きです。
では、日本政府はどうしたのか。
伊藤博文は考えました。
何とかして、日本に立憲主義を根づかさねばならない。
そうじゃないと、日本は近代国家になることができない。
武力を背景に欧米列強と結ばされた不平等条約を改正できない。

■伊藤が考えたのは、皇室を立憲主義の基礎に置くというアイデア。
皇室を、いわば天皇教という啓典宗教にします。
そして、その現人神たる天皇と国民に契約を結ばせます。
啓典宗教の出来上がり。
これにより天皇教は、立憲主義の基礎となる機軸たる啓典宗教となったのです。




■ところが問題が発生。
啓典宗教では、と言いますか、キリスト教では、神は絶対的存在
なので、同じくキリスト教的な神とされた天皇を、憲法で縛ることなんてできない。
絶対的な存在を憲法で縛るなんてことはできなかったのです。
さて困った。

■そこで、苦肉の策。
憲法を、天皇と人民との契約ではなく、天皇と神々(皇祖・皇宗・皇考)との契約としました。
大日本帝国憲法は、天皇と神々との契約となったのです。

天皇----[契約]----神々(皇祖・皇宗・皇考)

■前述のように近代憲法は、統治権力と人民との契約です。
ところが大日本帝国憲法ではそうはならなかった。
そのため、重大な問題が発生しました。
国民が、憲法が国家を縛り付ける契約であるということを認識することができなかったのです。

■その影響が現在においても出ています。
例えば、一部の知識人に「憲法には、国民の権利ばかり規定されていて、義務についての規定が少ない」などと主張している人がいます。

■こういう人たちは、近代における憲法の意味を知らないのでしょう。
憲法に国民の権利ばかり規定されているのは当然の話です。
国民の義務は、憲法の適合する範囲内で法律に規定すること。
憲法は国民の義務を規定するところではありません。
義務についての規定が少ないのは当たり前の話。

■統治権力が憲法という契約をきちんと守っているか絶えずチェックするという意識。
これは近代市民として、とても重要な意識です。
ところが日本人はこの意識をあまり持っていない。
その代わりに持っているのが、お上意識

■例えば、拉致家族の方々が、2度目の訪朝をし帰国した小泉首相を批判したことがありましたよね。
そのとき物凄いバッシングを拉致家族の方々は受けました。
「小泉首相を批判するとは何事か!」と。
イラクで3人の日本人が拉致拘束されたときも、「政府に逆らってイラクに行くとは何事だ!自己責任だ!」とのバッシングがありました。
まさに、お上意識から脱しきれない日本人の表れと言えると思います。

■私たち日本人はお上意識から脱却し、近代市民としての意識を持たなければなりません。
統治権力が憲法を守っているかを絶えずチェックするという意識。
私たちは、憲法改正を議論する前提として、まずこの意識を持つようにしなければならないと思います。

「アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その5」へつづく

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by asatte_no_houkou | 2005-10-11 11:20 | 国家・ナショナリズム・愛国心
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