アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その5
a0029616_0191317.jpg

前回の続きです。
では象徴天皇制を今後どう考えるべきだろうか。
考えていきたい。

■日本国憲法は、国民主権の原理を採用している。
主権(国の政治の最終的な決定権)は、国民が持っているのである。
その結果、国民は理論上オールマイティ(何でもできる力)を握ることになる。
これは極めて危険な権力と言わざるを得ない。




■政治学において「独裁制は民主主義の延長である」と言われている。
言論や投票といった民主政な過程から、民主主義の敵とも言うべき独裁者全体主義が発生するのだ。
国民が握るオールマイティが、言論や投票といった民主性の過程により、独裁者に移る。
こういう危険がある。
そこで理論上オールマイティの国民の権力に、一定の限界を画する必要が生じる。

■天皇の権威。
民主的な手続きを経て選任されたりはしない。
万世一系の血統原則に基づいて皇位に就かれる天皇陛下。
民主政のシステムの「外部」に立つ天皇の権威のみが、独裁制や全体主義の出現という事態への有効な抑止力として作動しうるのではないだろうか。

■と、書いてみたものの・・・
今の社会において、独裁者や全体主義の出現ということがありうるのだろうか。
豊かになり複雑になった日本のような社会においては、人々の価値観は多様化しており、特定の価値観を共有することはありえないように思う。

■しかもインターネットが発達したこの時代、マスメディアは多様化・ネットワーク化しており、どのようなプロパガンダも成り立たない。
それゆえ、現代日本において、独裁制や全体主義の出現の可能性は皆無ではなかろうか。

■さらにもう一点。
天皇陛下のご意思を無視して、いつまでも統治の便宜のために天皇陛下を「政治利用」し続けることが良いことなのであろうか。
不敬ではないのか。

■今の制度では、退位や継承放棄の自由はない。
そもそも全く別のライフスタイルを選ぶことができる潜在可能性があるかどうかで人間の尊厳が違ってくると言われている。
であるならば、天皇陛下の尊厳を尊重するために、退位や継承放棄という選択肢を設けるべきではないか。
今後の課題である。

おしまい。

【参考文献】
宮崎哲弥著『正義の見方』

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-10-14 00:33 | 国家・ナショナリズム・愛国心
<< 「愛国心」「国益」とは何か -... アホなオレやけど、今日は『天皇... >>