【全国民必読!】「そこにある」ものと「そこで作る」ものの区別 ― 日本の敗因
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■日本人は「自然」と「文明」の区別ができないと言われています。
本来「文明」であるものを「自然」と考えてしまう。
とにかく何でもかんでも「自然」と考えてしまう。

「自然」---------「文明」

■「文明」とは、「そこで作る」ものです。
他方、「自然」とは、「そこにある」ものです。
違いは、作為の契機にあります。
作為の契機とは・・・




■作為の契機とは、自分の意思で作る(変える)ことができる、という考え方のことです。
自分の意思で作る(変える)ことができるものが、「文明」。
自分の意思で作る(変える)ことができないものが、「自然」。

「作為の契機」が存在する  ⇒文明
「作為の契機」が存在しない ⇒自然

■太陽や月の運行法則、台風や地震の到来・・・
これら「自然」は、どんなに頑張っても人間の意思により作り変えることはできません。
つまり人間の意思とは直接に関係がない、「そこにある」ものです。
神頼みをするしかない。

■しかし「文明」は作ることができます。
変えることもできます。
社会や制度といった「文明」には、作為の契機が存在するのです。
社会の習慣も風俗も規範も制度も、全て人間が作り上げたものです。
その気になれば、必要に応じて作り変えることが出来ます。

■日本人には、その思考法が欠けています。
社会の習慣も風俗も規範も制度も、変えることが出来ないものだと考えてしまう。
人間の意思とは直接に関係がない、自然現象と同じものだと考えてしまう。
こんなの未開社会の考え方と同じです。

■ただし、「社会」(地域社会とか国際社会とか言うときの「社会」のこと)については別途考慮が必要です。
社会は文明の一種です。
ですので、そこには作為の契機が存在します。
社会は人間の意思により、作り変えることができる。
しかし「社会」は、「自然」と似ている面があります。

作為の契機が存在する  ⇒文明
作為の契機が存在する  ⇒社会
作為の契機が存在しない ⇒自然


■「社会」とは、きわめて具体的な歴史と環境を担った空間です。
ですので、個々人の意思や行動から独立し、それから超越して存在しています。
しかもその社会は、個々人の意思や行動を拘束し規定します。
人間は、既に作られた「社会」に、ストンと生まれ落ちるのです。
決して自分の意思と能力で、自分の所属する社会を作るのではありません。

■ただし、きわめて長期的巨視的には、人間の集団的な努力が積み重なって変化することもあります。
「社会」は「自然」と酷似するが、全く同じものではないのです。
長い長いスパンで考えれば、みんなの努力の積み重ねによって変えることができる。

■私たちは「自然」「社会」「文明」をきちんと区別しなければなりません。
全部一緒くたにしちゃっては、判断を誤ります。
過去の「日本の敗因」のほとんどが、この「自然」「社会」「文明」の区別ができなかったという点にあったと言ってもよいと思います。

■敗因に学ばねば、日本の「勝利」は未来永劫ありえません。
「負け続ける」のみです。

文明          社会          自然

(存在)←-------作為の契機--------→(不存在)


【参考文献】
『新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす』小室 直樹 / 光文社
『危機の構造―日本社会崩壊のモデル』小室 直樹 / 中央公論社

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by asatte_no_houkou | 2006-02-04 07:46 | 社会の時間
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