確かなものがない時代にいかに生きるか - ペテン師の類(たぐい)に騙されないために
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■前に拙ブログにおきまして、評論家の宮崎哲弥の「仕事力」についてのコラムをご紹介させていただきました。
宮崎哲弥が「仕事力」を語る
示唆に富むコラムだと僕は感じましたが、いかがでしたでしょうか?
このコラムの中で最も重要だなと僕が感じたのは、この一節です。



変わらないことに安らぐのではなく、移ろいを楽しむ。
他者との接触によって壊れた部分に、自分の新たな発展の芽を見いだす。
固定観念をいつまでも打破し続けることが、生き残りの極意でしょう。
生とは自分自身に対する永久革命の運動なのです。

・・・「自分探し」には大きな落とし穴がある。
これは最近のスピリチュアルブームの背景とも通じているんですが、いくら頭で考えをめぐらしても端的な答えなんか出ないということです。
「自分探し」は確かに人生の大主題かもしれないが、そうであるが故に簡単に答えなんか出ない。

「私とは一体誰なのか」。
誰もこの問いに答えられる者はいません。
答えられるという輩(やから)はすべてペテン師の類(たぐい)だと思ってかまわない。
だって「あなたという現実」を経験しているのはあなただけじゃないですか。
神様にもわかりっこありません。

最後に強調しておきたいのは、大切なのは答えではないということ。
究極の、端的な答えなどありません。
不変の「私」が実在しないことと同じです。
社会が「名のみ」のものであることと同じです。
本当の私は──本当のあなたは、問いのなかにこそある。
それを忘れないで欲しい。

封建時代においては、家柄だったり、身分だったりといったものが強固にあって、それが人生をほぼ決めていました。
生まれによって、どのように生きるかが決まってしまっていました。
自由に人生を選べない。

■日本は近代化しました。
身分だとか家柄なんてなくなって平等な社会になった。
自由になった。
自分の意思に従って人生を選べるようになりました。

■さらに日本は経済的に豊かになりました。
高度成長期の時代だと、幸せな人生とは何かについての認識が多くの人に共有されていました。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代です。
「金持ちになってテレビを買うぞ」だとか「お金を稼いで栄養のあるものを家族に食べさせたい」だとか。
ところが、経済的に豊かになった今の時代、幸せのイメージは人それぞれになりました。

■そんな今の時代。
自分とはどういう人間なのか?
自分は誰なのか?
その存在価値は?

そういったことを自分の力で試行錯誤することが求められます。
いわゆる「自分探し」です。
サッカーの中田英寿選手は未だ「自分探しの旅」から帰ってきていません。

■封建社会の時代では、何も考えずに家柄や身分といった条件に従っていればよかった。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代では、「豊かになりたい」という多くの人が共有する夢に向かってひたすら進んでいけばよかった。
ところが今はそんな時代ではありません。
ある意味、今は大変に厳しい時代なんです。
自殺者が年間3万人もいる時代。

■こんな大変な時代。
ペテン師の類(たぐい)が跳梁跋扈しています。
ズバリ、端的な答えを教えてくれる人。
「オーラ」がどうたらこうたら言う人。
テレビでよく見かけます。

「俺はこんなペテン師の類(たぐい)に騙されないようにしたい!」
なら、どうするべきか。
宮崎哲弥が「時評家・宮崎哲弥の明日はどっちだ!ニュースジャッジ」で紹介していた仏教の説話が参考になるのではないでしょうか。

ひとりの男が旅をしていた。
ある夜、寂れた空き屋を宿としていたところ、真夜中にな って、1匹の鬼が人の死骸を担いできた。
程なくもう1匹の鬼が追って来て「この死骸は俺のものだ。」と言い出し、激しい争いが始まった。

やがて、前の鬼が「こうして争っていても仕方がない。
証人を立ててどちらのものかを 決めよう」と後の鬼に提案した。
後の鬼も承知したので、前の鬼は、隅で小さくなって 震えていた男を引きずり出し、屍がどちらのものかを証言してくれと頼んだ。

男は思った。
一方の鬼に有利なことを言えば、他方の鬼に恨まれて殺されてしまうだろ う。
覚悟して正直に自分の見た通りを話した。
案の定、後の鬼は怒り、男の腕をねじ取った。
これを見た前の鬼は、すぐに死骸の腕を取って来て補った。

後の鬼はますます怒り、足を抜き、胴を取り去り、とうとう頭まで、もいでしまった。
前の鬼は次々に、屍の足、胴、頭を取って、全てを補ってしまった。
こうして2匹の鬼は争いを止め、辺りに散らばったバラバラの体を食べて立ち去った。

男は親からもらった四肢も胴も頭も鬼に食べられ、いまやその体の全てが死骸のものである。
一体、自分は自分なのか自分ではないのか、全く分からなくなった男は、夜が明けるや、寺に駆け込み、昨夜の恐怖の体験を話した。

ところが仏教者たちは、この話の中に、無我の理を感得し、まことに尊い感じを得たという。
「雑宝蔵経」より

■価値観が多様化した、確かなものがないこの時代。
僕は、固定観念に束縛されず、移ろいを楽しんでいきたいと思います。
まあ、僕は昔からそうなんですがね(笑)
「時の流れに身をまかせ~♪」

テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」(YouTube)

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by asatte_no_houkou | 2007-11-15 03:35 | 社会の時間
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