日銀総裁人事 - 今の日本に「日銀の独立性」を支える地盤が存在するのかな?
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■新聞を読んでたらさ、よく「日銀法が改正されて日銀の独立性が明記されているのだから財務省出身者が総裁に就任しても問題ない」なんていう主張を見かけるよね。
本当にそうなのかな?
そう思っているところ、こういう記事を見つけました。
日銀総裁:後任人事 総裁空席 後任「エコノミストを」 英紙社説、民主の反対に理解
 【ロンドン藤好陽太郎】日銀総裁が戦後初めて空席となったのを受け、20日付の英紙フィナンシャル・タイムズは「求む。日銀総裁」と題する社説を掲載、「民主党が、影響力が強い財務省に近い候補者に反対したのは正しい」と指摘した。そのうえで、総裁となるべきは、「エコノミストとして確固とした信任を得ている外部の人材」とした。

 同紙は、武藤敏郎前副総裁に次いで、田波耕治国際協力銀行総裁の差し替え案も参院で否決されたことについて、「(両氏は)東大卒、財務省(旧大蔵省)キャリアであり、福田康夫首相の選択は官僚を選ぶ伝統に沿ったもの」と皮肉った。そのうえで、「半ば公式に、財務省OBが中央銀行に天下るのは、金融政策の独立性を低下させる」と批判した。

 理想の総裁の条件を、「聡明(そうめい)なエコノミストで、(市場への)確かな語り手、外交手腕のある国際人」などとし、「伝統的な観念に立ち向かうことができる総裁が日銀のためになる」と述べた。

 ただ、金融市場の混乱が続く危機的な状況にある中で、「総裁不在は誤ったメッセージを送る」と警告、与野党に早急な合意も求めた。

毎日新聞 2008年3月21日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/biz/archive/news/2008/03/21/20080321ddm008020062000c.html




■1997年に日銀法が改正され(施行は98年)、日本銀行の独立性が明記されました。
ところがどっこい。
この英紙社説によると「それだけでは十分ではない」みたい。

■一方で、「それで十分だ」とする日本の多くの新聞。
これは「日本人の法意識」の問題に関連すると思います。
法律の素人は、法律さえ作れば、なんでも世の中は変わってしまうと思いがちである(例えば「親に親孝行せよ」という規定を民法の中に書けば日本中の人々が親孝行になる、というような考えがつい近年まで大まじめに主張されていた)。
だが、法律を作っても、それが現実に行われるだけの地盤が社会の中にない場合には、法律というものは現実にはわずかしか、時には全く「行われない」-社会生活を規制するという機能を果たさない-のである(川島武宜著『日本人の法意識』)

■今の日本に、この「地盤」があるのかな?
「日銀の独立性を守り、それにより政府により日銀の金融政策が不当に歪められない」という「地盤」がはたしてあるのかどうか・・・

■日本の役所は「お役所一家」とも呼ばれるように、疑似共同体化しがちです。
疑似共同体化とはどういうことか。
要するに、役人は自分が所属する役所を自分自身であると考えてしまうということです。

■財務省も例外ではありません。
それゆえ財務省から退いた後も財務官僚は「財務一家」(「大蔵一家」)の構成員として財務省(大蔵省)のために行動するということになりがちです。

■今、日本の財政は火の車。
健全の財政確保を任務とする財務省としては何が何でもとにかく国の財政状況を改善したいと考える。
物価の安定なんて、そんなの関係ねぇー。

■となるとすると、財務省出身の日銀総裁は、世の中に出回っているお金の量を増やして、お金の価値をできるだけ低めたいと考えるのではないだろうか。
そしてインフレ的な金融政策をおもいっきりやろうと考えるのではなかろうか(国債利払い費の増大を招く利上げはやらない)。
なにせ、財務省を自分自身と考える「財務省一家」の構成員なのだからね。

■たしかに日銀法は改正され、日銀の独立性が明記されました。
しかしその「地盤」が存在しているのかどうか。
今の日本には未だ財務省出身者が日銀総裁に就任しても日銀の独立性が保つことができるほどの「地盤」が存在していないのではないでしょうか。

■英紙フィナンシャル・タイムズが言うように「半ば公式に、財務省OBが中央銀行に天下るのは、金融政策の独立性を低下させる」ことになると思います。
福田総理は財務省出身者ではない人物(少なくともいわゆる「財政派」ではない人物)を日銀総裁候補として国会に提案するべきだと思います。

求む、日銀総裁――フィナンシャル・タイムズ社説
(フィナンシャル・タイムズ 2008年3月19日初出 翻訳gooニュース)

国際的な金融危機というささやかな問題に対応する必要があるのだから、日本銀行の総裁探しは急務だと思われるかもしれない。しかし野党・民主党が『この人は強大な財務省に近すぎる』とみなす候補に次々と反対するのは、正しいことだ。市場は脆弱だし、妥協可能な候補を早急に見つける必要があるが、しかし理想の候補は「マクロエコノミスト」として優れた実績をもつアウトサイダーであるべきだ。

日本の福田康夫首相は、同じことをただ繰り返しても違う結果が出ると考えているようだ。野党が、東大法学部卒で財務省(旧大蔵省)キャリア出身の武藤敏郎前副総裁に否決した後、福田総理はやはり東大法学部卒で財務省(旧大蔵省)キャリア出身の田波耕治国際協力銀行総裁を候補提示した。そして民主党はやはり、田波氏も否決したのだ。

武藤氏をどういう政治的理由から候補に提示したのかは、不可解だ。野党は参議院をコントロールしているのだから、わざわざ野党にケンカをふっかけにいくのはリスクが高い。どうしても対決するなら、国民の支持が広く得られている問題についてのみ挑戦するべきだ。にもかかわらず、わざわざケンカを仕掛けていって、負けて、そしてまた同じケンカをふっかけるというのは、荒唐無稽だ。ただでさえ弱い福田政権は、これでますます弱体化したように見える。

福田氏の選択はほかでもない、お役所的な伝統に従うという理屈に動かされていたようだ。一定の役職レベルで財務省を退官する官僚は、日本銀行などの組織でポストを得るのがこれまでの常だったからだ。確かに、中央銀行向けの人材は財務省で見つけやすいだろうし、その逆もまた真理だろう。しかし、財務官僚を半ば公式に日銀へ天下りさせるという仕組みは、金融政策の独立性を損なってしまう。

このため、もっと強力な日銀総裁が必要だと民主党が力説するのは正しいことだ。それに、民主党が適任だと名前を挙げる、黒田東彦・アジア開発銀行(ADB)総裁や、(武藤・田波両氏よりはやや若い)渡辺博史前財務官にしても、「非・主流派」というほどではない。総裁空席の穴を急ぎ埋めなくてはならないという緊急性を思えば、どちらの候補もあり得るだろう。

しかしもっとラディカルな選択だって、あり得る。中央銀行を取り仕切るという仕事は、ほかにはない独特のものだ。パーフェクトな候補とは、素晴らしいマクロエコノミストであって、市場心理を読み取れる心理学者で、公の場できちんと話せる手堅いパブリック・スピーカー。かつ国際的な外交官で、優れた最高経営責任者(CEO)の資質も欲しい。外交官やCEOとしての能力をもつエコノミストを見つけるのは難しいが、一方で、スタッフの言いなりになるのではなくスタッフを問いただすことができるだけの深い経済の経験をもつ官僚を見つけるのも大変なことだ。オーソドックスなものの見方に挑戦できるだけの総裁が得られれば、日銀にとって大きなメリットとなる。

総裁不在でも、あまり支障はないという意見もあるだろう。総裁がいなくても日銀は機能するし、近く金利を変える可能性も低いし、そもそも多くの重要な政策決定は財務省が行っているのだから。しかし毎日のように新しい経済危機が出来する今、市場の信頼性はもろく、日本経済の展望も陰りつつある今、トップ不在は間違ったメッセージを発してしまう。政府と民主党は急ぎ、総裁候補で合意すべきだ。その過程で、日本のなれ合い的な公職人事システムが一新されるのなら、それはなお良し、だ。

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by asatte_no_houkou | 2008-03-24 01:47 | 政治・経済に一言
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