真の『平和主義』とはなんだろうか。
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■日本にはエセ平和主義者(ニセモノの平和主義者)が多くいます。
彼らは実のところ平和主義者ではありません。
エセ平和主義者です。

■彼らは
「とにかく憲法9条を守れば平和主義」
とわめき散らします。
アホと言うしかありません。

■こういうアホがいるから、
「何が何でも自衛隊を海外に出せば一人前」
あるいは
「とにかく憲法9条を改正すれば一人前」
という馬鹿(エセ愛国者)が生まれました。
アホが馬鹿を生む。馬鹿がアホを生む。最悪なスパイラルです。

■以下は小室直樹先生の新戦争論―“平和主義者”が戦争を起こす (1981年)』からの引用です。
真の平和主義の意義がよくわかります。



真の平和を願う者のなすべきことは何か。

①まず、戦争の文明史的本質を洞察することである。ポイントは二つある。
(Ⅰ)戦争とは国際紛争解決の手段である。
(Ⅱ)戦争以上に合理的で実効的な紛争解決の手段を創造しない限り、戦争はなくならない。

②しかし、現在、そのような一段と次元の高い国際紛争解決の新メカニズムは、萌芽すら現れていない。
具体的な方向すらまだ発見されていない。国際社会は五里霧中である。
だが、具体的な努力目標もないと言うことではない。
方向はわからなくとも、少なくとも準備作業の何たるかは明らかである。

それは、
(Ⅰ)長期的には、国際法の成熟を目指して、複雑きわまる組織的努力を続けることである。
その一環をして戦争に関する法の開発がある。しかし具体的な方向が定まらないので、当面はやみくもの努力以外にやりようがない。要するに試行錯誤の段階である。
(Ⅱ)短期的には、これを平行して、現行の国際法の枠内で、できる限り具体的に戦争の勃発を減少させる努力を続けることである。ただし、これを戦争廃絶の努力と錯覚してはいけない。

③前項のような努力を続けてゆく過程で、ひょっとしたら、戦争以上に合理的で実効的な国際紛争解決のメカニズムについて、おぼろげながらヒントが得られるかもしれない。これは祈りにも似た悲願である。

④その間、現実の戦争の可能性に対しては、物心両面で十分備えがなくてはいけない。
このことは、平和への努力、平和への祈りと矛盾することではない。
むしろ、そうしないことが、結果として平和主義と矛盾するのである。

以上が真の平和主義の核心である。
まことに、新しい制度の創造には、それに相応した基礎的な法秩序の成熟が前提となる。
それを達成するまでは、これと平行して現実的に対応することが不可欠である。
それが、文明の鉄則である。

■まさに至言である。
「アホ」と「馬鹿」は、この小室先生の文章を百万回熟読するべきだと思います。

<関連記事>
【決定版】私が考える憲法9条と自衛隊

<追記>
「アホ」とか「馬鹿」とか書いてすいませんm(_ _)m
お許しください。

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by asatte_no_houkou | 2004-07-22 10:11 | 日本国憲法を考えよう
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