グローバル化から地域を守れ! ― ヨーロッパを見習おう
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21世紀は、心、魂、人と人との信頼関係、郷土愛、世界人類の平和、地球環境といった目に見えない物を大切にする時代なんです。
そして日本の国柄はむしろ、歴史と伝統と文化を大事にして何百年も同じ町を残す、何百年も同じ祭りをやっているようなヨーロッパ的な地域共同体に、より類似性を持っているんです。
国柄が百八十度違うアメリカと価値観を共有できるわけがない。
「『表現者』第14号 座談会・保守の政治は生き残れるか」より城内実氏(前衆議院議員)の発言

前回グローバル化(グローバリゼーションとも言います)の負の側面について、エラそうに半笑いで語ってしまいました。
いやいや、違うんですよ。
僕は、グローバル化を全否定するつもりはまったくありませんよ。
しかしその負の側面も認識する必要があると思うんですよ。



■グローバル化とは、極々簡単にいえば、国境の垣根を越えて世界が一つになっていくということです。
この中心にいるのは、世界覇権国アメリカ
グローバル化は今、アメリカに一極集中する形で進んでいます。
あえて単純化していえば、グローバル化とは、アメリカ化を意味するわけです。

■皆さんのお住まいの地域の風景を眺めてみてください。
どうです?
スターバックス、マクドナルド、ケンタッキー・・・
あちらこちらに溢れかえっています。

■その結果、起きていること。
それは、各地域の固有の町並みが消え、どこもかしこも画一的な町並み
単なる入れ替え可能な場所。
地域文化の多様性が、グローバル化による画一性の前に風前の灯になっています。
消える昔ながらの日本の風景。

■中には「それでいいじゃん」とお考えの人もいるかもしれません。
しかし多くの人はそこに希薄さを見出し、複雑な感情を抱かれるのではないでしょうか。
もともと日本社会は、土地を媒介にした人と人とのつながり(地縁)を重視する社会だからです。

■社会学者の宮台真司氏によれば、コミュニケーションには共通前提があるそうです。
具体的には、共通の身体的前提、感情的前提、知的前提。
家族や世代を超えて町全体がこの共通前提に包まれていると感じるとき、そこに人は濃密な一体感を得るのです。

■町全体がこの共通前提に包まれていると感じる空間、これがパトリ(郷土)です。
パトリとは、人と土地が入替不能な関係を構成する際の人と土地の複合体です。

■パトリは、個人の自立を支えます。
私たちは必ず誰かの子供で、ある町の、ある時代の人間。
その限定性こそが個を支えているのだと思います。
パトリが空洞化した状態では、個人は自立できず、何かに依存し、時として全体主義へと誘引されます(「崇高なる国家共同体」に依存するネットウヨク、2ちゃんねるウヨク)。

■もちろんそれは旧来の共同体のように閉鎖的(よそ者を排除)で過剰な同調圧力(村八分)を求めるものであってはいけないと思います。
今でも田舎に行くと(例えば沖縄)、閉鎖的な共同体があると聞きます。
守るべきは、いろんな人も情報も入ってきてオープンな風通しのよい共同体です。

■城内実氏はこのように言います。
ヨーロッパ人はできるだけアメリカニズムを排除しようとして欧州連合で各国がタッグを組み、ユーロという基軸通貨も作った。
自国のナショナリズムを多少犠牲にしてまでも欧州ナショナリズムを作るほどに、アメリカニズムが非常に胡散臭い、危ないものだということをわかっている。

■宮台氏もこのように言います。
ヨーロッパがアメリカ的なグローバル化に対抗してきた理由をただ一つ挙げろと問われれば、我々の喜怒哀楽に満ちたコミュニケーションを支えている身体的・感情的・知的な前提を、グローバル化が壊してしまうからだということになります。
グローバル化にそんな経済的合理性があろうが近代的合理性があろうが、我々の人生に実りをもたらすコミュニケーションを台無しにするからなのです。

■日本はヨーロッパを見習うべきではないでしょうか。
グローバル化に抗い、日本を守るために。

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by asatte_no_houkou | 2008-07-12 12:57 | 国際社会を生き抜く
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