『米軍の大型ヘリ墜落事故』に見る日本とアメリカの関係
米軍ヘリ沖縄国際大の敷地内に墜落(朝日新聞)
米軍が正式に現場検証拒否、撤去作業再開 ヘリ墜落事故(朝日新聞)
在沖縄米海兵隊、墜落事故と同型ヘリの飛行再開(朝日新聞)
米軍の同型ヘリ飛行再開「極めて遺憾」 二橋官房副長官(朝日新聞)

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■要するに、ナメられているんですよ。
完全にナメられているんです。
「所詮、日本なんてものはアメリカの属国。こんな奴らに説明の必要はない」
こう思われているんですよ、皆さん。

■戦後、日本はアメリカのポチ(属国)として生きてきたわけです。
要するに、言いなりです。
日本は、飼い主であるアメリカの忠実な飼い犬として、アメリカの言うがままに生きてきました。

■もちろん、アメリカとソ連とのいがみ合っていた冷戦体制の下では、これは理解できました。
しかし今はどうでしょう。
アメリカの国益追求のために、日本はうまく利用されているだけになっていませんか?
アメリカは単なるエゴイストなのですよ。

■なぜ戦後、日本は「アメリカのポチ(属国)」となったのでしょうか。
この点は都立大の宮台真司先生は、こう仰っています。



吉田茂が日米安保条約を結んだ当時は敗戦国たるが故の
「あえて」せざるを得ない選択でした。
だが戦後復興を遂げ、また、冷戦が終わった暁には
「安保体制を続けるかどうかが判断のしどころである」
と吉田ならびに周辺は考えていました。
日本が復興を遂げ、冷戦が終わった後も、安保が存続していれば、
自国益しか考えないアメリカの犠牲になってしまいます。

■このように日本は、一時的に「あえて」アメリカのポチになることを選択したに過ぎないのです。
「今に見てろよ。復興を成し遂げたら、独立してやる!」
このような気持ちで属国としての道を一時的にあえて選択したに過ぎないのです。

吉田茂は昭和38年(1963年)に書いた『世界と日本』の中で以下のように述べています。

当時において日本は再軍備に踏み出すことは、経済的にも、社会的にも、思想的にも不可能なことである・・・。
しかし、それは私の内閣在職時代のことであった。
その後の事態にかんがみるに連れて、私は日本防衛の現状に対して、多くの疑問を抱くになった。
当時の私の考え方は、日本の防衛は主として同盟国アメリカの武力に任せ、日本自体はもっぱら戦争で失われた国力を回復し、低下した民主の向上に力をそそぐべしとするにあった。
然るに今日では日本をめぐる内外の諸条件は、当時と比べて甚だしく異なるものとなっている。
経済の点においては、既に他国の援助に期待する域を脱し、進んで後進諸国への協力をなし得る状態に達している。
防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階は、もう過ぎようとしているのではないか。私はそう思うようになったのである。
度々の外遊、特に最近の欧米旅行において、私は、自由世界の国々を視察し、その指導者と膝を交えて会談したが、これらの国々が既に戦争の痛手から脱却し、その指導者達が何れも、自国の責任において世界の平和と繁栄とに貢献せんと努めている姿に心を動かされた。
日本もまた自らの力量と責任とにおいて、自由陣営への寄与を志すべきだと感ずるにいたったのである。
(中略)立派な独立国、しかも経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも、世界の一流に伍するにいたった独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家としての片輪の状態にあるといってよい。
国際外交の面においても、決して尊重される所以ではないのである。
(文中に差別的表現がありますが、吉田茂の意図を忠実に表現するために原文のまま使用)

■要するに
1、効率的に経済復興を成し遂げ
2、その間、アメリカに守ってもらう(冷戦下を前提)
ために「あえて」採用されたのが「アメリカのポチ」だったのです。

■日本は既に経済復興を成し遂げました。
冷戦は終結しました。
もう「ポチ」である必要はありません。
このままでは自国益のことしか考えていないアメリカの犠牲になってしまいます。
もはや日本に価値なしと判断された場合、ボロギレの如く捨てられるかもしれない。

■なのに相変わらずポチをつづけようとする政府与党。
もう政権交代しかありませんね。

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by asatte_no_houkou | 2004-08-24 01:40 | 国際社会を生き抜く
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