カテゴリ:国家・ナショナリズム・愛国心( 23 )
『国家をめぐる政治思想マップ』をチラシの裏に書いてみました
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■毎日新聞夕刊に掲載されていた政治学者の仲正昌樹氏の論考を参考にして、チラシの裏に「『国家』をめぐる政治思想マップ」を書いてみました。
あなたはどの立場でしょうか?

■縦軸は、グローバル化の荒波から国民を守るために「国家による国民の抱え込み」をするのか(国民を守るための盾として国家による規制を強化するのか)、それとも「国家による抱え込み」を止めて、グローバル化の荒波に抗うことなく市場による自然な流れに委ねようとするのか。
横軸は、左派右派です。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-25 02:19 | 国家・ナショナリズム・愛国心
「愛国心」「国益」とは何か - 4象限の『論壇思想マップ』をチラシの裏に書いてみました
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■サイゾー2004年2月号に載っていた「当世論壇思想特定チャート」を参考にして、チラシの裏に4象限の論壇マップを書いてみました。
あなたはどの立場でしょうか?

■縦軸が、ボーダレス重視と国家重視。
横軸が、近代主義と前近代主義です。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-21 01:42 | 国家・ナショナリズム・愛国心
アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その5
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前回の続きです。
では象徴天皇制を今後どう考えるべきだろうか。
考えていきたい。

■日本国憲法は、国民主権の原理を採用している。
主権(国の政治の最終的な決定権)は、国民が持っているのである。
その結果、国民は理論上オールマイティ(何でもできる力)を握ることになる。
これは極めて危険な権力と言わざるを得ない。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-14 00:33 | 国家・ナショナリズム・愛国心
アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その4
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前回の続きです。
では、日本政府はどうしたのか。
伊藤博文は考えました。
何とかして、日本に立憲主義を根づかさねばならない。
そうじゃないと、日本は近代国家になることができない。
武力を背景に欧米列強と結ばされた不平等条約を改正できない。

■伊藤が考えたのは、皇室を立憲主義の基礎に置くというアイデア。
皇室を、いわば天皇教という啓典宗教にします。
そして、その現人神たる天皇と国民に契約を結ばせます。
啓典宗教の出来上がり。
これにより天皇教は、立憲主義の基礎となる機軸たる啓典宗教となったのです。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-11 11:20 | 国家・ナショナリズム・愛国心
アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その3
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前回の続きです。
欧米の立憲主義国の背後には、宗教があります。
具体的には啓典宗教です。
さらに具体的に言えばキリスト教です。

■では啓典宗教とは何でしょうか。
啓典宗教とは、神と人間との契約を根本とする宗教のことです。
絶対的な存在である神が、「法」を作ります。
そしてその神と人間とが、その「法」を基礎とした絶対契約を結ぶのです。
これが啓典宗教。

神----[契約]----人間

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by asatte_no_houkou | 2005-10-11 01:30 | 国家・ナショナリズム・愛国心
アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その2
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前回の続きです。
今回は、政治学者の小室直樹氏の見解(『天皇の原理』『痛快!憲法学』)を参考にして、立憲主義という観点から天皇(皇室)の意義について考えてみたいと思います。

■そもそも立憲主義とは何でしょうか。
立憲主義とは、憲法に基づいて政治を行う、という考え方のことです。
暴走すればどんな怪獣(旧約聖書のヨブ記に出てくるリバイアサン)よりも恐い国家権力を、憲法によって縛って暴走しないようにしよう、そして私たちの権利と自由を守ろう、という考え方ですね。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-10 00:55 | 国家・ナショナリズム・愛国心
アホなオレやけど、今日は『天皇』について考えてみた―その1
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皇室の意義とは何かについて考えます。

■日本は、ムラ社会である。
村落共同体で暮らす村人が集まった社会。
欧米のように共同体からの自由を目指す宗教的伝統がなく、しかも中国のように王朝が変わるごとに土地所有権が無効になってしまうことがない日本。
土地を媒介として成立した集団が形成され、その帰属意識が生まれる。

■ムラ社会では、人は、仲間の村人の「眼差し」によって規範される。
1、同じムラに所属することによる仲間意識
2、仲間はずれになるという不利益制裁である「村八分」
これらがムラ内部における規範の基礎となるのである。

■それ故、村人たち(日本人)は、閉ざされたムラ社会内部にしか目が行かなくなる。
村の外のことなんてどうでもいい。
旅の恥は掻き捨て。

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by asatte_no_houkou | 2005-10-08 02:37 | 国家・ナショナリズム・愛国心
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その4
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■続きです。
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その3

■てっちゃんはある興味深いデータを紹介します。
日本のナショナリズムの現状を示すデータとしては、電通総研が五年に一度、各国の研究機関として共同で実施している「世界価値観調査」が参考になる。
その2000年の調査結果によれば、「自国の国に誇りを感じるか」という問いに対し肯定的に回答した日本人の割合は全体の54.2パーセントであった。74か国中71位の低率だ。
また「戦争が起きたら進んで国のために戦うか」という設問に対して「戦う」と答えたのはわずか15.6パーセント。順位は59か国中最下位の59位。アメリカでは63.3パーセントが、フランスでは58.6パーセントが、95年の調査ながらスウェーデンでは85.4パーセントの人々が「戦う」とした。
これに対し「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」という考えを肯定する日本人の割合は実に65.7パーセントにも上っている。世界的に見ても高水準である。

■てっちゃんはこのデータをもとに以下のように分析します。
この数値から浮かび上がるのは、国民として義務や責任を積極的に果たそうという自律的意思の欠如と、それと裏腹の国家への依存成功の顕著な高さである。
あえてこれをナショナリズムの亜種に見立てるならば、「パラサイト・ナショナリズム」とすべきだろう。

■国家には義務があります。
それは国民の権利・自由を守ることです。
国家は何よりも先に国民の権利・自由を守らなければならない。
それゆえ「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」は正しい。

■しかし一方、国家を成り立たせるには一定のコストを国民は支払わなければなりません。
自分たちの自由や権利を守るために国家を組織する。
そのためには納税、兵役などのコストを支払う必要がある。
いわば契約の表裏の関係に立ちます。
これは近代国家の原則です。

■ところが日本人にはそのコストを支払う意識はあまりない。
おそらく納税の意識も諸外国と比べて低いことでしょう。
権利は享受するけど、義務は果たさない。
これぞ戦後民主主義教育の結果!
延いては日本の戦後民主主義が、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された結果といえるでしょう。

ちなみにかかる依存、非自律率の傾向は、国家意識とは逆の、権利意識の方向からも裏付けることができる。
NHK放送文化研究所が調査した「日本人の意識・2003」によれば、日本人が憲法上の権利として最重要視しているのは「人間らしい暮らしをする」という受動的な権利である。
選択肢の中から複数回答可で「権利と思うもの」を選ばせる設問で、75.5パーセントという圧倒的な支持を集めているのだ。
然るに権利行使に何らかの主体性を要する「思っていることを世間に発表する」「労働組合を作る」といった能動的権利に関しては、それぞれ36.2パーセント、20.4パーセントと驚くほど低い選好率を示している。
あまつさえ「税金を納める」という義務を権利と見誤った人の割合が42.2パーセントにも達しているのである。これは義務意識の浸透を表しているのではなく、憲法上の権利と義務の分別という、公の基本原理に関する日本人の無関心と無知を象徴する数字と解すべきだ。

■情けない・・・
中学生レベルの知識をマスターできていないなんて・・・
権利意識の面でも「パラサイト・ナショナリズム」が明らかに。
病膏肓に至る。

福沢諭吉は「一身独立して一国独立す」と近代的ナショナリズムの理念を定式化した。
丸山眞男がこれを取り上げ「もたれかかり的『くに』意識」=パラサイト・ナショナリズムとは反対の愛国的態度だと評価したことはよく知られている。

■「一身独立して一国独立す」は、『学問のすすめ』に出てくる有名なフレーズですね。
わが日本国人も今よりも学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり

■最後に『リアル国家論』での、てっちゃんの言葉を。
国家にアイデンティファイすることなく、国に忠誠を誓約することなく、憲法を含む国家システムを自らの道具としてどのように「活用し」、いかに連帯や相互扶助と個人の自律が矛盾しない共同性の領野を切り開いていくかが、長期的な視野に立った、私たちのリアルな「政治課題」なのです。

国家にアイデンティファイしないナショナリズムを心的資源として、冷徹な分析に基づき国家をコントロールするべきである。
と、私は思います。

おしまい。

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by asatte_no_houkou | 2005-06-21 01:04 | 国家・ナショナリズム・愛国心
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その3
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■続きです。
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2

■次に、てっちゃんは次のような説を紹介します。
ナショナリズムは新興国家や再建国家においては確かに重要な意味を持つが、日本のように安定した成熟国で勃興することはむしろ弊害が大きい、とする説がある

■ここでいう「弊害」とはおそらく、少数者を排除したり、差別や迫害の標的にすることだと思います。(ファシズム)
ナショナリズムの勃興によりこのような弊害が生じるのではないかということ。
これは重要な問題です。

■てっちゃんはこの説に対して以下のように反論をします。
一見理に適った、現状に照らして妥当な見方にみえるが、成熟社会の意味が正確に捉えられていない。
成熟社会の最も顕著な特質は、成員の多重帰属性が高まるということに他ならない。
それに対応してアイデンティティも分散的になる。
こうした社会の住人はもはや、たった一つの集団やたった一つの共同体に専属専従することはない。
家族への愛情も、会社への忠節も、地域への愛着も、あるいは宗教に対する帰依心も、民族に抱く同胞意識も、各々「私」を構成するアイデンティティの一要素に過ぎない。

こうした環境の下では、ナショナリズムの確保が困難になってくる。
近代国家はそもそも生活者にとって実感的に把握し難い、抽象的で複雑で大規模な機構であり、新聞やテレビのようなナショナル・メディアによってはじめて可視化される存在だからだ。

情報伝達経路の多岐化やグローバル化に連れて、国家を身近に引き寄せていたナショナル・メディアの相対化が進めば、一般国民にとって国家事項は「間遠い現実」となる。

■成熟社会とは、正確には「成熟した近代社会」のことで、「過渡的な近代社会」と対立する概念です。
過渡的な近代社会において、人々は巨大な欠乏を共有し、それゆえに欠乏を埋めるという共通の夢を抱きます。
ところが成熟した近代社会では人々は共通の夢を抱かなくなった。
豊かになり、夢が実現されてしまったからです。
それ故、何が良きことかは人それぞれになりました。
価値観の多様化ですね。

■このような成熟社会においては、ナショナリズムが民族や文化といった具体的な内容と結びつくことは少ないように思います。
となると、少数者差別などの弊害が生じることは一般的に考えられないのではないでしょうか。
(もちろん全く弊害が生じないとは言い切れないので、多文化主義の採用などが必要に思う)

■むしろ、てっちゃんが縷々説明するとおり、ナショナリズムの勃興により生じる弊害よりもナショナリズムが確保できないことによって生じる弊害のほうが大きいように思われます。
日本のような成熟した社会においては、ナショナリズムの確保が難しいのです。

■てっちゃんは続けてこう主張します。
その一方で、ナショナル・メディアによってセンセーショナルに取り沙汰され、ショーアップされた人物や事件だけに興味が向く傾向が強くなり、国事全般に対する関心はむしろ衰弱していく。
「激情政治」化、「観客民主主義」化などと呼ばれる自体だが、この受身の姿勢がいっそう進めば、国に依存するばかりで、その運営に全く責任を持たない国民が多数を占めてしまうだろう。
これこそが先進的な民主国家に共通する内在的な危機の核心である。

近年、先進諸国において、新興国とは違った意味で「社会的資源としてのナショナリズム」が求められているのは、この危機への意識的、無意識的な対応と考えられる。

■近年の投票率の低下からもわかるとおり、日本人は国家の運営に全く関心がありません。
まるで他人事。
自分たちが一生懸命働いて納めた税金が、官僚や政治家によって無駄に使われようが全く無関心。
次世代に残していくべき環境が破壊されようが無関心。
小泉がお得意の拡大解釈で憲法を蹂躙しても全く無関心。
なのに、マスコミによってショーアップされた若貴の兄弟ゲンカには異様な関心を示す。

■私はてっちゃんの言うとおり国家の民主的運営に参画し責任を負う動機付けの確保が社会的資源として必要のように思います。
その動機付けとなる社会的資源がナショナリズムなのです。
こうした国際的な潮流を無視し、日本国内のミクロな動向だけを焦点化して「ぷちナショナリズム」「癒しとしてのナショナリズム」といった粗雑な概念で全体状況を総括するような議論が横行しているが、現状分析として信頼性を欠いており、昔ながらの「時評的レトリック」「マーケティング的ラベリング」以上のものではないといってよいだろう。

■これは香山リカと小熊英二への批判ですね。
妥当な批判だと思います。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』4

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by asatte_no_houkou | 2005-06-17 10:07 | 国家・ナショナリズム・愛国心
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2
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■前回(てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1)の続きです。

■てっちゃんは世に蔓延る俗説を批判する。
日本の言論界やジャーナリズム界では、なおナショナリズムを忌避する雰囲気が強い。「ナショナリズムは病だ」という極論すら通用している。

■「ナショナリズムは病だ」との極論を主張しているのは姜尚中氏である。
彼は共著『愛国心』(講談社)で、こう言っている。
僕は、ナショナリズムというのは基本的にだと思っているのです。
どんな人間でもかかる病気なわけです。

■てっちゃんはこれに反駁を加える。
だが、ルワンダのみならず、アフガニスタンイラクの現況を見渡してみても明らかなように、国内の紛争や混乱は「ナショナリズムの過剰」によってではなく、むしろ「ナショナリズムの欠乏」によって引き起こされている。
民主的な政治秩序の構築、飢餓や疫病に対する迅速な対処、基本制度やインフラの整備には、ナショナリズムという心的資源が不可欠なのだ。

ところがこれらの国々では、部族への帰属や宗派への信徒が国家に対する忠誠よりも優先されがちである。
「私はこの国の国民に他ならず、この国の有様に責任を負う」というアイデンティティとロイアルティの希薄さが、国家の民主的運営を困難にし、政府を機能不全に陥れ、結果として国民や各中間集団の利益を損ねてしまっている。

本当に「ナショナリズムは病気」と断定できるのだろうか。
国家機構の正常な運営には欠くべからざる資源と考えることが適切ではないのか。

■全くてっちゃんの言うとおりである。
イラクにしても、シーア派、スンニ派、クルド人といった勢力がそれぞれの共同体の思惑を優先させて行動しているがために、未だに混乱が続いているのではないだろうか。

■イラク人の多くが、ルワンダで襲われた少女たちのように「自分達はただイラク人である」との思いを抱くようになれば、事態の混乱は収束に向かうであろう。
「自分達はただイラク人である」とのナショナリズムが、各共同体の共生への動機付けとなるのである。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』3

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by asatte_no_houkou | 2005-06-14 01:04 | 国家・ナショナリズム・愛国心