カテゴリ:国家・ナショナリズム・愛国心( 23 )
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
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■6月12日放送のよみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にて、てっちゃん(宮崎哲弥氏)の「パラサイト・ナショナリズム」についての論考が取り上げられていた。(『日本の論点2004』文藝春秋)
この「パラサイト・ナショナリズム」論は朝日新聞夕刊の「ナショナリズムを問い直す」という特集でも取り上げられていたので、知っている方も多いだろう。

■多くの人に一度読んでもらいたいので、ここに『日本の論点』における論考を要約して(一部は抜粋)して載せる。
読んでいただきたい。
■まず冒頭、てっちゃんは、ルワンダで起きた虐殺事件を紹介する。
たった3ヶ月で80万人もの人間が虐殺されたこの事件。
永年にわたるフツ族とツチ族との対立が原因だ。

■多数派であるフツ族のメンバーがツチ族のメンバーを虐殺して回った。
部族間の通婚や混血もかなり進み、どちらの出自か容易に見分けられないほどに、部族はヴァーチャル化していたにもかかわらず。

■てっちゃんは『ジェノサイドの丘』(WAVE出版)という本のラストに登場するある事件を紹介する。
事態がようやく収拾に向かい始めた1997年、ジェノサイド実行者の残党が学校の寄宿舎を襲い、十代の女子学生16人を捕らえた。
襲撃犯が少女達にツチ族とフツ族に分かれるように命じたところ、彼女らは「自分達はただルワンダ人である」と拒んだ。
その結果、少女たちは無差別に射殺された。

■てっちゃんは
フツ族でもツチ族でもない、私たちは「ただルワンダ人」であるという言葉は、まさしくナショナリズムの宣明ナショナル・アイデンティティの表明に他ならない。
少女たちは、ルワンダのナショナリズムを勇敢に主張し、そしてそれに殉じたのである。
このエピソードを私たちはどう受け止めるべきか。
と語る。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』2

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by asatte_no_houkou | 2005-06-13 01:18 | 国家・ナショナリズム・愛国心
【国旗】天皇陛下「強制でないのが望ましい」【国歌】
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【国旗・国歌「強制でないのが望ましい」天皇陛下が園遊会で(朝日新聞)】

■おい!保守派の諸君。
陛下は 「強制でないことが望ましい」と仰ったぞ。

■今後、東京都教委が行っているような「強制」を行えば、
陛下のご意向に背くことになる。
陛下のご意向に背く奴らは不敬千万
右翼はすぐに天誅を加えなければならないであろう。
■そもそも強制なんかしてどうする?
ネオコンと同じじゃないか。
ネオ・コンサバティブとは、一見、政治思想のように感じるが、
実のところそうではない。
単なる政治手法だ。
力でドンドンと断固とした措置をとる!
という政治手法だ。

■力で民主主義が根付くか?
根付くわけがない。
今の日本を見てみろ。
「戦後民主主義」は占領軍による強制という
およそ民主主義にふさわしくない方法で導入された。
この先鋭な矛盾が、民主主義の実質をその正反対のものに転化させた。

■民主主義は他人から与えられるものではない。
自ら獲得するべきものである。
そのことはアメリカやイギリスの歴史を見れば明らかである。

■ちょっと話が逸れたが・・・
東京都教委のやり方はネオコンと同じだ。
上から押し付けてどうすんだ。
これじゃあ、子供たちは国旗・国歌への嫌悪感
持つことになるであろう。
逆効果だ。
「ミイラ取りがミイラになった」だ。
ちょっと違うか。

近代民主主義を機能させるためには「愛国心」が必要である。
愛国心は、近代において必要不可欠な心的資源なのである。
愛国心が無ければ、 暴走しがちな国家権力を操縦しようという気は起こらない。
この点については既に論じたので、読んで欲しい。

【『愛国心』が面白いほどわかる】

■しかし愛国心を強制力によって押し付けてはいけない。
強制的な押し付けは反発を招くだけ。
自然と愛国心が芽生えるようにしなくてはならないであろう。
陛下が仰るとおりである。

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by asatte_no_houkou | 2004-10-29 02:35 | 国家・ナショナリズム・愛国心
『愛国心』が面白いほどわかる
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<1、愛国心の根拠>

近代民主主義はある一定の範囲の人々(国民)が主権を持つことで成り立っているので、 国民国家のシステムと同調しています。

ですから、
日本人は日本人、フランス人はフランス人、アメリカ人はアメリカ人でまとまらなければ、 近代民主主義は機能しません。

(要するに「国民」を作る必要があるわけです。)

では、どのようにしてまとまるか。
「この国は自分たちが組織したものだ。」
という意識を持つことでまとまるしかありません。
その意識が愛国心の根拠となるものです。

民主主義を機能させるための必要条件として愛国心が必要なのです。
(十分条件ではないことに注意)



<1-1、「高速バス」利用した、わかりやすい喩え>

高速バスで喩えるとわかりやすいです。
(詳しくは、宮台真司・宮崎哲弥著「エイリアンズ」)

国とは、高速バス(「ナショナル・ヘリテージ」という荷物が乗っている)のことです。
統治機構は、運転手
国民は、バスの乗客です。

乗客は運転手がちゃんと運転しない場合、文句を言う権利がありますね。
場合によっては別の運転手に代わってもらうこともできます。

国の場合も同じです。
国と言う「高速バス」の、「運転手」である政府与党が、国民の権利を蔑ろにした場合、「乗客」である国民は文句を言ったり、選挙で「NO」の意思表示をして政権交代させたりすることができます。

愛国心とは、つまり統治機構がちゃんと機能するように操縦する意欲のことなのです。
民主主義社会においては不可欠な動機付けです。


<2、愛国心の内容>

これについては「人間の尊厳とは何か。」という点にまで
遡る必要があります。
二つの立場があります。 (社会学者の宮台真司先生の分類)

① 崇高なるものとの一体化で得られる自尊心こそが尊厳だとする尊厳観と、
② 尊厳とは社会関係の中での自由な試行錯誤の積み重ねで得られる自尊心だとする尊厳観
です。

この二つの尊厳観のどちらの立場にたつかによって愛国心の意味が変わってきます。

①の立場では、
崇高なる精神共同体との一体化を愛国心であると考えます。
②の立場では、
自由な試行錯誤を支える公共財は血によって購われてきたものだからタダ乗りは許されないということを愛国心だと考えます。

私の立場は②の立場です。
①の立場は次で説明する「国粋」につながります。


<3、愛国と国粋>

「愛国」と「国粋」は違います。(詳しくは奥平康弘・宮台真司著「憲法対論」)

「国粋」とは、「お国のために!」と叫んでバンザイ突撃するのを奨励することです。 (いわゆる国体を重視する)
「愛国」とは、子々孫々の繁栄を徹底的に分析し考え抜いたうえで決断することです。 (国民の利益を重視する)

「国粋は愛国の体(てい)をなさず」です。
国益(国民の利益)に適うか否かの吟味を欠いた「国粋」は子々孫々の利益を脅かし、「愛国」の本義を裏切ります。


<4、国民国家>

① 紛争処理において警察・司法権力に合法的に暴力を委託すると言う一事をとっても、
② 集団成員全体を拘束できる正統な決定手続を継続させると言う一事をとっても
国家廃絶はありえません。

そして私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家を超える主体を持ちません。
世の中を変えたいのなら、愛国心を心的資源として国家を操縦するしかありません。

したがって、(理想論としてならともかく)「世界連邦」や「地球市民」などと主張して 「国家なんてほっとけ!」とか言っている連中は単なるアホです。
そういう連中こそ、ほっておきましょう。

(もちろん私も国民国家という枠組みが未来永劫において続くものとまでは思っていません。つまり固定的なものではないと思っています。しかし国民国家の枠組みが変わるといってもそれは100年単位の話です。)


<5、民族と愛国心>

(生物学的な人種や血縁地縁でつながった種族と言う意味での)民族と国民意識は関係がありません。

確かに、同一民族であることは国民国家の成立に都合のよい条件となりますが、決定的な要因とはなりえません。

例えば、フランスという国民国家の国民は、血縁概念や人種概念とは関係がありません。
古代ゴール人の子孫も、ブルターニュ地方のケルト系住民も、アルザスの紛うかたきなきドイツ系市民も、フランス国民です。

いくら血の種類が違っていても、近代的意味の愛国心を持つのに何の支障もありません。
アメリカなんかも多民族国家ですが、同じです。

日本も同様。
もともと日本人というのは単一民族ではなく、混合民族です。
日本には大陸北方系、大陸南方系、南洋系の異なる種族が流入して、混血を繰り返しました。
ですから、生物学的な人種や血縁地縁でつながった種族と言う意味での日本民族というものは主観の中にしか存在しないものです。


<6、多文化主義教育による補完>

国民国家・民主主義には愛国心が必要です。

しかし愛国心が民族とか文化などの具体的な内容を伴った場合は少数者を排除し、差別が生まれる可能性があります。

では、それを防ぐためにどうすればいいか。

多文化主義(国民を構成する様々なコミュニティが互いに尊重すること)を育む教育をすればいいのです。
これによって愛国心と民族・文化が切り離されます。
その結果、少数者の排除や差別を防ぐことができるでしょう。


<7、同時多発テロ後のアメリカの民主主義>

9.11後、アメリカの民主主義がおかしくなったのは愛国心の影響だという人がいますが、これは間違いです。

アメリカの民主主義は今でも機能しています。

「充満する敵意」と言う国民性が9.11以降ヒートアップしてブッシュの対テロ戦略を多くの国民が支持するようになりました。
アメリカ人は盲目的にブッシュを支持した、つまり民主主義が機能しなくなった結果、ブッシュを支持したというのではなくて、それぞれの意思に基づく判断に基づいて民主主義的にブッシュを支持していたのです。

とはいえ、最近、ブッシュ大統領の支持率が大幅下落してきたようですね。
(現在、大統領の支持率は50%を切っています)
多数の米兵がイラクで殺害されたのが原因でしょうか。
アメリカの大統領の支持率は50%前後からがイエローゾーンだそうです。
彼は来年、再選されるのでしょうかね。

ちなみに、イラクの大量破壊兵器開発をめぐる疑惑について、50%がブッシュ政権が証拠を意図的に誇張したと回答しています。

<8、イラク戦争と愛国心>

イラク戦争を反対している人たちも愛国心がモチベーションになっています。
映画監督のマイケル・ムーア氏は実際そう言っているし、伝統右派のパット・ブキャナン氏もそう言ってます。(アメリカの伝統的な保守派はアメリカ軍が外国に駐留することに反対している)

「朝まで生テレビ」でジャーナリストの田原総一郎氏が言っていましたが、
ドイツやイタリアで反戦デモをやっていた人たちは自国の国旗を掲げていたそうです。
彼らも愛国心が反戦のモチベーションになっていたのでしょう。

もし、愛国心を否定するならば、こういう人たちのモチベーションもスポイルしてしまうことになってしまいます。


<9、世界の愛国教育>

愛国教育は世界中の学校教育に共通するものです。
「戦後」の日本だけが唯一行っていません。


アメリカ、オーストラリア、イタリア、フランス、インドネシア・・・
何処の国も行っています。何よりも先に愛国教育を行います。

例えば、
アメリカの小学校では毎朝、授業が始まる前に規律して教室に掲揚されている星条旗に敬礼し、忠誠宣誓を行っている

オーストラリアの学校では、生徒は機会あるごとに「私は神と我が祖国とを愛する。
私はわが国の国旗を尊ぶ。私は女王に仕え、また喜んで両親、先生、そして国の法律に従う」と誓う。

イタリアの教科書には「偉大なる国旗の下に、我々はみな兄弟である。風にはためく美しい色。
白は祈り、赤は愛、緑は希望。三色旗よ永遠なれ」と国旗を称える文章が載っている。

インドネシアの学校では、毎週月曜日の一時限目は国旗掲揚式である。
校庭に集合し、国旗掲揚、国歌斉唱の後、建国五原則が朗唱される。
その第一原則は「偉大なる神への信仰である。教室には正副大統領の写真が掲示されており、その中央にはインドネシアの国章ガルーダ・パンチャシラが掲げられている。

タイの学校でも毎朝、朝礼が行われ、必ず国旗が掲揚される。
国旗掲揚時には子供達が国旗に敬礼し、国歌を斉唱し、国家に対する忠誠の誓いを立てる。

フランスは道徳教育が充実しており、「祖国や人類」「社会的義務」などの授業が行われている。


<10、最後に>

国民に愛国心がなければ、民主主義は機能しません。

日本においてなかなか民主主義が機能しないのは、愛国心を持たない国民が多いからです。
日本以外の全ての国で行われている愛国教育が日本において行われていないからです。

国民に愛国心がない場合、国民は国民全体の利益を考えず投票を行うようになります。
自分の既得権益を守ってくれる議員(いわゆる族議員)に投票するようになる。
これでは何時までたっても改革は進みません。

また、官僚は国民益ではなく私益や省益を守るために行動するようになります。
「国がどうなってもどうでもいい、俺の出世のほうが大事だ!」と考えるようになる。

経済失政を繰り返しても全く責任を取ろうとしない財務省、国民の命なんてこれっぽっち考えず薬害事件を繰り返す厚生労働省、北朝鮮に拉致された国民を見捨てる外務省・・・・

これらは国民に愛国心がない結果。愛国教育がなされていない結果です。


<11、ちょいと反論>

U.S.S. Barcelona Logさんよりご意見をいただきました。そこで、ちょいと反論をばさせていただきます。
『私の暮らしているスペインには愛国心はありません。・・・省略・・・でも、ここには民主主義がしっかり根付いています。マドリッドの列車テロの翌週の総選挙を見れば明白です。』
愛国心とは、近代においては、ネーション(国民)のためにステイト(国家)を操縦する意欲と捉えるべきです。スペインでの政権交代は、「このままイラク派兵を続ければ、またテロをやられる。だから政権交代して国家を操縦しよう」とスペイン人が考えたからだと思います。スペイン人に愛国心がなければ、テロが起きようが「俺たちには関係ねーよ」とわざわざ投票なんかに行かないでしょう。
『日本に愛国心がなく、民主主義が根付いていないというのは極論過ぎる気がします。』
民主主義は過程であって、完成された状態を言うのではありません。日々育てる努力をしなければ、たちまちに息絶えてしまいます。今の日本の民主主義は息絶えてしまっているといっても言い過ぎではないでしょう。多くの政治家や官僚は国民益なんてこれっぽっちも考えもいないですし、「公約違反なんてたいしたことではない」なんて言う総理大臣がいるし。平気で政府は憲法違反をするし。
『戦中の日本で「非国民」という非難の言葉が使われましたが、これは国粋主義者たちが自分達を愛国主義者であると主張して、そうでない人達を非難したという構図です。私は、両者は非常に紛らわしいので両方ともないほうが良いと思います。』
戦中に「非国民」という言葉が使われたのは、国家を崇高なる精神共同体と位置づけ、人間の尊厳が国家と一体化していたからです。近代においては、人間の尊厳はそれぞれの試行錯誤の積み重ねによって得られる自尊心だと考えます。そして戦後の教育はそれぞれの試行錯誤を助け、個人の尊厳を尊重する形になっています(不十分ではありますが)。ですから愛国と国粋は明確に区別されると思います。(区別できていない人もいますが)
『国家であっても宗教であっても民族であっても、共通の傘のもとの団結力を高める道具に成り果ててしまう傾向があります。・・・省略・・・EUがEU憲法の元に緩やかな連合体を作ろうとする動きは、脱国家化の新しい試みで非常に興味深いです。・・・省略・・・愛国心をベースにした古い近代民主主義概念が時代遅れになる日も近いと思います。』
国家というのは、共同体ではありません。単なる制度です。個人の尊厳を確保するための制度的な枠組みにすぎないんです。科学的に考えて国家廃絶はありえません。国際社会の主体は国民国家であって、今のところ私たちは領域的にも力の大きさ的にも国民国家を超える主体を持ちません。ですから、もし世の中を変えたいと考えるのなら、時代遅れであっても愛国心を意欲として国家を操縦するしかないんです。その結果、東アジアにもEUのような枠組みができれば最高だと思います。


参考文献:
小室直樹著「日本国民に告ぐ」(ザ・マサダ)「悪の民主主義」(青春出版社)、橋爪大三郎著「政治の教室」(PHP新書)、宮台真司著「これが答えだ」(朝日文庫)「憲法対論」(平凡社新書)

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by asatte_no_houkou | 2004-06-20 17:16 | 国家・ナショナリズム・愛国心