<   2005年 06月 ( 10 )   > この月の画像一覧
【自民党総務会】ムラ原理を排し、質の高い政治的決定を!
a0029616_1344935.jpg

■自民党に総務会というものがあります。
党の政策を決定をするところです。
この総務会。
全会一致、すなわち全員一致が慣例だそうです。

■全員一致、読んで字のごとく、みんなの意見が一致すること。
おとっちゃんも、おっかさんも、にいちゃんも、ねえちゃんも意見が一致することです。

■では全員一致とは反対の意思決定方式はなんだろうか。
それは多数決ですね。
多数決では、必ずしも意見の一致を見ることはありません。
多数派と少数派に分かれるのが通常でしょう。

■実はというと、総務会などの会議体における意思決定方式の原則的形態は多数決なんです。
全員一致なんてものは例外的形態。
それはなぜでしょうか。
全員一致では、その集団の目的を達成するための、質の高い政治的決定ができないからです。

■全員一致というのは、ムラ社会での意思決定方式です。
全員一致を求めるというのは、つまりその決定に特定の誰かが主導権を発揮するのを嫌い、特定の誰かが責任を負うのを嫌うことだからです。
ムラ社会では誰かが主導権を握ったり、責任を負ったりすることを嫌う性質を有するのですね。

■ムラ社会ではムラを維持することそれ自体が目的になります。
それゆえ、ムラという共同体の結束が求められます。
である以上、意見の対立は望ましくない。
多数決なんてして、多数派と少数派なんて作ってムラ内部を分けるなんてことをしたくありません。
だって、結束が乱れるじゃん。

■この点について小沢一郎さんはこう言っています。
日本の社会は、多数決ではなく全会一致を尊ぶ社会である。
全員が賛成して事が決まる。
逆に言えば、一人でも反対があれば、事が決まらない。

こういう社会ではあくまで自分の意見を主張するとどうなるか。
事が決められず、社会は混乱してしまう。
社会の混乱を防ぐには、個人の意見は差し控え、全体の空気に同調しなければならない。
同調しないものは村八分にして抑えつけられる。
その代わり、個人の生活や安全はムラ全体が保障する。
社会は個人を規制し、規制に従う個人は生活と安全が保障される、という関係だった。

個人は集団への自己埋没の代償として、生活と安全を集団から保証されてきたといえる。
それが、いわば、日本型民主主義の社会なのである。
そこには、自己責任の考え方は成立する余地がなかった。
日本で社会と個人のこういう関係が成り立ってきたのは、一部の例外を除いて外部との交渉の歴史を持たない同質社会だったからだ。

その社会を変革しようとしたのが明治時代だった。
この時代に、日本は初めて門戸を開いた。
欧米型の民主主義の理念も初めて導入した。

しかし、大正から昭和に入るや、政党政治の終焉と軍部の台頭という流れの中で、日本は再び同質社会特有の独善的な発想に陥った。
この傾向は敗戦後も、冷戦構造の下で温存され、今日に至った。

しかし、いまや時代は変わった。
日本型民主主義では内外の変化に対応できなくなった。
今さら鎖国はできない以上、政治、経済、社会のあり方や国民の意識を変革し、世界に通用するものにしなければならない。(小沢一郎著『日本改造計画』講談社)

■さて自民党の総務会ですが、全員一致を慣例としていました。
これはつまり自民党がムラ原理で動いていることの証しです。
事前に族議員が根回しをして、派閥同士が裏で取引をして、総務会で全員一致でまとまります。
そこでは議論は形式的にしかなされません。
まさにムラ社会です。
ムラ社会はムラを維持することそれ自体が目的になる。
自民党は党を維持することそれ自体が目的になっていたのです。

■政党の目的はなんだろうか。
国民の意思を統合して媒介し政治に反映させる。
そして国民の利益を実現することではないでしょうか。
にもかかわらず、国民益なんてそっちのけで、党を維持することそれ自体が党の目的になっていただなんて。
(もちろん、これは自民党だけではないと思うが)

■今回総務会は全員一致方式を排し、多数決で意思決定をしました。
(もっとも、修正された民営化法案はますます骨抜きになったようだが・・・)
今回の一件がムラ原理からの脱却の第一歩になることを強く望みます。

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-30 01:55 | 政治・経済に一言
Musical Batonだよ!
a0029616_131347.jpg

まさまさブログ。」のまさまささんから「Musical Baton」というものが回ってきました。
音楽に関する質問に回答して、5人の方に回して行くもののようです。
今、流行ってるみたいですね。

ということで、僕も質問の回答をばしてみようかと思います。

続きを読む
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-24 01:56
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その4
a0029616_0521218.jpg

■続きです。
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その3

■てっちゃんはある興味深いデータを紹介します。
日本のナショナリズムの現状を示すデータとしては、電通総研が五年に一度、各国の研究機関として共同で実施している「世界価値観調査」が参考になる。
その2000年の調査結果によれば、「自国の国に誇りを感じるか」という問いに対し肯定的に回答した日本人の割合は全体の54.2パーセントであった。74か国中71位の低率だ。
また「戦争が起きたら進んで国のために戦うか」という設問に対して「戦う」と答えたのはわずか15.6パーセント。順位は59か国中最下位の59位。アメリカでは63.3パーセントが、フランスでは58.6パーセントが、95年の調査ながらスウェーデンでは85.4パーセントの人々が「戦う」とした。
これに対し「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」という考えを肯定する日本人の割合は実に65.7パーセントにも上っている。世界的に見ても高水準である。

■てっちゃんはこのデータをもとに以下のように分析します。
この数値から浮かび上がるのは、国民として義務や責任を積極的に果たそうという自律的意思の欠如と、それと裏腹の国家への依存成功の顕著な高さである。
あえてこれをナショナリズムの亜種に見立てるならば、「パラサイト・ナショナリズム」とすべきだろう。

■国家には義務があります。
それは国民の権利・自由を守ることです。
国家は何よりも先に国民の権利・自由を守らなければならない。
それゆえ「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」は正しい。

■しかし一方、国家を成り立たせるには一定のコストを国民は支払わなければなりません。
自分たちの自由や権利を守るために国家を組織する。
そのためには納税、兵役などのコストを支払う必要がある。
いわば契約の表裏の関係に立ちます。
これは近代国家の原則です。

■ところが日本人にはそのコストを支払う意識はあまりない。
おそらく納税の意識も諸外国と比べて低いことでしょう。
権利は享受するけど、義務は果たさない。
これぞ戦後民主主義教育の結果!
延いては日本の戦後民主主義が、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された結果といえるでしょう。

ちなみにかかる依存、非自律率の傾向は、国家意識とは逆の、権利意識の方向からも裏付けることができる。
NHK放送文化研究所が調査した「日本人の意識・2003」によれば、日本人が憲法上の権利として最重要視しているのは「人間らしい暮らしをする」という受動的な権利である。
選択肢の中から複数回答可で「権利と思うもの」を選ばせる設問で、75.5パーセントという圧倒的な支持を集めているのだ。
然るに権利行使に何らかの主体性を要する「思っていることを世間に発表する」「労働組合を作る」といった能動的権利に関しては、それぞれ36.2パーセント、20.4パーセントと驚くほど低い選好率を示している。
あまつさえ「税金を納める」という義務を権利と見誤った人の割合が42.2パーセントにも達しているのである。これは義務意識の浸透を表しているのではなく、憲法上の権利と義務の分別という、公の基本原理に関する日本人の無関心と無知を象徴する数字と解すべきだ。

■情けない・・・
中学生レベルの知識をマスターできていないなんて・・・
権利意識の面でも「パラサイト・ナショナリズム」が明らかに。
病膏肓に至る。

福沢諭吉は「一身独立して一国独立す」と近代的ナショナリズムの理念を定式化した。
丸山眞男がこれを取り上げ「もたれかかり的『くに』意識」=パラサイト・ナショナリズムとは反対の愛国的態度だと評価したことはよく知られている。

■「一身独立して一国独立す」は、『学問のすすめ』に出てくる有名なフレーズですね。
わが日本国人も今よりも学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり

■最後に『リアル国家論』での、てっちゃんの言葉を。
国家にアイデンティファイすることなく、国に忠誠を誓約することなく、憲法を含む国家システムを自らの道具としてどのように「活用し」、いかに連帯や相互扶助と個人の自律が矛盾しない共同性の領野を切り開いていくかが、長期的な視野に立った、私たちのリアルな「政治課題」なのです。

国家にアイデンティファイしないナショナリズムを心的資源として、冷徹な分析に基づき国家をコントロールするべきである。
と、私は思います。

おしまい。

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-21 01:04 | 国家・ナショナリズム・愛国心
【ひめゆり「退屈」入試問題】この文章のどこが問題なのか
a0029616_14274536.jpg

<ひめゆり入試問題>青学高等部長らが元学徒訪れ謝罪へ
青山学院高等部(東京都渋谷区)の今春の入試で、元ひめゆり学徒の証言を「退屈で飽きた」と感じたという内容の架空の英語感想文が出題された問題で、同高等部の大村修文(ただふみ)部長ら4人が13日、謝罪のため元学徒たちが証言活動をしているひめゆり平和祈念資料館(沖縄県糸満市)を訪れた。大村部長は謝罪を前に報道陣に「申し訳ないの一言に尽きます」と語った。(毎日新聞)

■私はこのニュースにずっと違和感を感じていました。
だって、常識的に考えてですよ、あの伝統ある青山学院高等部が元ひめゆり学徒の皆さんを誹謗するような内容の文章を題材とした出題をするなんて考えられないじゃないですか。

■私はこの入試問題の全文を読んでみたいと思っていたところ、ようやく全文を読むことができるサイトを発見しました。

この続きも読んでね♥(ここをクリック)
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-17 14:17 | 歴史を考える
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その3
a0029616_1053777.jpg

■続きです。
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2

■次に、てっちゃんは次のような説を紹介します。
ナショナリズムは新興国家や再建国家においては確かに重要な意味を持つが、日本のように安定した成熟国で勃興することはむしろ弊害が大きい、とする説がある

■ここでいう「弊害」とはおそらく、少数者を排除したり、差別や迫害の標的にすることだと思います。(ファシズム)
ナショナリズムの勃興によりこのような弊害が生じるのではないかということ。
これは重要な問題です。

■てっちゃんはこの説に対して以下のように反論をします。
一見理に適った、現状に照らして妥当な見方にみえるが、成熟社会の意味が正確に捉えられていない。
成熟社会の最も顕著な特質は、成員の多重帰属性が高まるということに他ならない。
それに対応してアイデンティティも分散的になる。
こうした社会の住人はもはや、たった一つの集団やたった一つの共同体に専属専従することはない。
家族への愛情も、会社への忠節も、地域への愛着も、あるいは宗教に対する帰依心も、民族に抱く同胞意識も、各々「私」を構成するアイデンティティの一要素に過ぎない。

こうした環境の下では、ナショナリズムの確保が困難になってくる。
近代国家はそもそも生活者にとって実感的に把握し難い、抽象的で複雑で大規模な機構であり、新聞やテレビのようなナショナル・メディアによってはじめて可視化される存在だからだ。

情報伝達経路の多岐化やグローバル化に連れて、国家を身近に引き寄せていたナショナル・メディアの相対化が進めば、一般国民にとって国家事項は「間遠い現実」となる。

■成熟社会とは、正確には「成熟した近代社会」のことで、「過渡的な近代社会」と対立する概念です。
過渡的な近代社会において、人々は巨大な欠乏を共有し、それゆえに欠乏を埋めるという共通の夢を抱きます。
ところが成熟した近代社会では人々は共通の夢を抱かなくなった。
豊かになり、夢が実現されてしまったからです。
それ故、何が良きことかは人それぞれになりました。
価値観の多様化ですね。

■このような成熟社会においては、ナショナリズムが民族や文化といった具体的な内容と結びつくことは少ないように思います。
となると、少数者差別などの弊害が生じることは一般的に考えられないのではないでしょうか。
(もちろん全く弊害が生じないとは言い切れないので、多文化主義の採用などが必要に思う)

■むしろ、てっちゃんが縷々説明するとおり、ナショナリズムの勃興により生じる弊害よりもナショナリズムが確保できないことによって生じる弊害のほうが大きいように思われます。
日本のような成熟した社会においては、ナショナリズムの確保が難しいのです。

■てっちゃんは続けてこう主張します。
その一方で、ナショナル・メディアによってセンセーショナルに取り沙汰され、ショーアップされた人物や事件だけに興味が向く傾向が強くなり、国事全般に対する関心はむしろ衰弱していく。
「激情政治」化、「観客民主主義」化などと呼ばれる自体だが、この受身の姿勢がいっそう進めば、国に依存するばかりで、その運営に全く責任を持たない国民が多数を占めてしまうだろう。
これこそが先進的な民主国家に共通する内在的な危機の核心である。

近年、先進諸国において、新興国とは違った意味で「社会的資源としてのナショナリズム」が求められているのは、この危機への意識的、無意識的な対応と考えられる。

■近年の投票率の低下からもわかるとおり、日本人は国家の運営に全く関心がありません。
まるで他人事。
自分たちが一生懸命働いて納めた税金が、官僚や政治家によって無駄に使われようが全く無関心。
次世代に残していくべき環境が破壊されようが無関心。
小泉がお得意の拡大解釈で憲法を蹂躙しても全く無関心。
なのに、マスコミによってショーアップされた若貴の兄弟ゲンカには異様な関心を示す。

■私はてっちゃんの言うとおり国家の民主的運営に参画し責任を負う動機付けの確保が社会的資源として必要のように思います。
その動機付けとなる社会的資源がナショナリズムなのです。
こうした国際的な潮流を無視し、日本国内のミクロな動向だけを焦点化して「ぷちナショナリズム」「癒しとしてのナショナリズム」といった粗雑な概念で全体状況を総括するような議論が横行しているが、現状分析として信頼性を欠いており、昔ながらの「時評的レトリック」「マーケティング的ラベリング」以上のものではないといってよいだろう。

■これは香山リカと小熊英二への批判ですね。
妥当な批判だと思います。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』4

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-17 10:07 | 国家・ナショナリズム・愛国心
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2
a0029616_134292.jpg

■前回(てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1)の続きです。

■てっちゃんは世に蔓延る俗説を批判する。
日本の言論界やジャーナリズム界では、なおナショナリズムを忌避する雰囲気が強い。「ナショナリズムは病だ」という極論すら通用している。

■「ナショナリズムは病だ」との極論を主張しているのは姜尚中氏である。
彼は共著『愛国心』(講談社)で、こう言っている。
僕は、ナショナリズムというのは基本的にだと思っているのです。
どんな人間でもかかる病気なわけです。

■てっちゃんはこれに反駁を加える。
だが、ルワンダのみならず、アフガニスタンイラクの現況を見渡してみても明らかなように、国内の紛争や混乱は「ナショナリズムの過剰」によってではなく、むしろ「ナショナリズムの欠乏」によって引き起こされている。
民主的な政治秩序の構築、飢餓や疫病に対する迅速な対処、基本制度やインフラの整備には、ナショナリズムという心的資源が不可欠なのだ。

ところがこれらの国々では、部族への帰属や宗派への信徒が国家に対する忠誠よりも優先されがちである。
「私はこの国の国民に他ならず、この国の有様に責任を負う」というアイデンティティとロイアルティの希薄さが、国家の民主的運営を困難にし、政府を機能不全に陥れ、結果として国民や各中間集団の利益を損ねてしまっている。

本当に「ナショナリズムは病気」と断定できるのだろうか。
国家機構の正常な運営には欠くべからざる資源と考えることが適切ではないのか。

■全くてっちゃんの言うとおりである。
イラクにしても、シーア派、スンニ派、クルド人といった勢力がそれぞれの共同体の思惑を優先させて行動しているがために、未だに混乱が続いているのではないだろうか。

■イラク人の多くが、ルワンダで襲われた少女たちのように「自分達はただイラク人である」との思いを抱くようになれば、事態の混乱は収束に向かうであろう。
「自分達はただイラク人である」とのナショナリズムが、各共同体の共生への動機付けとなるのである。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』3

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-14 01:04 | 国家・ナショナリズム・愛国心
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
a0029616_152163.jpg
■6月12日放送のよみうりテレビ「たかじんのそこまで言って委員会」にて、てっちゃん(宮崎哲弥氏)の「パラサイト・ナショナリズム」についての論考が取り上げられていた。(『日本の論点2004』文藝春秋)
この「パラサイト・ナショナリズム」論は朝日新聞夕刊の「ナショナリズムを問い直す」という特集でも取り上げられていたので、知っている方も多いだろう。

■多くの人に一度読んでもらいたいので、ここに『日本の論点』における論考を要約して(一部は抜粋)して載せる。
読んでいただきたい。
■まず冒頭、てっちゃんは、ルワンダで起きた虐殺事件を紹介する。
たった3ヶ月で80万人もの人間が虐殺されたこの事件。
永年にわたるフツ族とツチ族との対立が原因だ。

■多数派であるフツ族のメンバーがツチ族のメンバーを虐殺して回った。
部族間の通婚や混血もかなり進み、どちらの出自か容易に見分けられないほどに、部族はヴァーチャル化していたにもかかわらず。

■てっちゃんは『ジェノサイドの丘』(WAVE出版)という本のラストに登場するある事件を紹介する。
事態がようやく収拾に向かい始めた1997年、ジェノサイド実行者の残党が学校の寄宿舎を襲い、十代の女子学生16人を捕らえた。
襲撃犯が少女達にツチ族とフツ族に分かれるように命じたところ、彼女らは「自分達はただルワンダ人である」と拒んだ。
その結果、少女たちは無差別に射殺された。

■てっちゃんは
フツ族でもツチ族でもない、私たちは「ただルワンダ人」であるという言葉は、まさしくナショナリズムの宣明ナショナル・アイデンティティの表明に他ならない。
少女たちは、ルワンダのナショナリズムを勇敢に主張し、そしてそれに殉じたのである。
このエピソードを私たちはどう受け止めるべきか。
と語る。

つづく
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』2

人気blogランキングへ
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-13 01:18 | 国家・ナショナリズム・愛国心
【鎌倉・九条の会】井上ひさし氏のトンデモ発言【後援取り消し】
a0029616_23574768.jpg

Excite エキサイト : 社会ニュース
鎌倉・九条の会が講演会 市の後援取り消しを批判
 憲法9条を守り改憲を阻止しようと、作家井上ひさしさんと経済評論家の内橋克人さんら神奈川県鎌倉市在住の文化人らが10日夜「鎌倉・九条の会」の発足記念講演会を開き、護憲を訴えた。・・・省略・・・井上さんは「憲法を尊重、擁護しなければならないのが公務員の中立性のはずだが、知らない人が1人いた」と、市の後援取り消しを皮肉まじりに批判。

■20数年間、妻に暴行を働き続け(ドメスティック・バイオレンス)、「三行半」を突きつけられたことで有名な井上ひさし氏が恥ずかしい発言をしました。
本人は皮肉を交えたイケてる発言だと思っているのでありましょう。
「今日のオレはなかなかうまいこと言ったじゃん」と、一人ほくそえんでいるのだと思います。

■しかし残念なお知らせですが、井上ひさしさん(DV男)、あなたの発言はトンデモ発言です。
なぜなら、公務員の中立性の意味、ひいては憲法に対する理解を完全に誤っていますから。

この続きも読んでね♥(Please click)
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-12 00:16 | 日本国憲法を考えよう
なぜ年間3万人もの日本人が自殺をするのか
<自殺者数>04年は3万2325人 7年連続年間3万人台
 04年中の自殺者数が3万2325人と前年より2102人(6.1%)減少したものの、98年から7年連続で年間3万人台を記録したことが警察庁の調査で分かった。50代の自殺者も10%近く減ったが、動機の半数近くを負債や生活苦などの「経済・生活問題」が占めており、依然としてリストラや失業など経済情勢に苦しむ中高年の実態を示した結果となった。(毎日新聞)

a0029616_0264662.jpg■自殺の分析については古典的な名著があります。
エミール・デュルケムの『自殺論』です。
デュルケムは社会学的な観点から自殺を解き明かしました。

■自殺というのはそれぞれの個人の個人的な意思で行うものだと思われがちです。
もちろんそういう側面もあるのでしょう。
でも個人的意思といっても、それを超えた社会によって規制され規定されている面もあります。
ですから個人的な要因のみからの分析だけでは不十分。
そこでデュルケムは自殺の社会的な要因を分析しました。

■デュルケムが自殺の統計を整理したところ以下のことが明らかになりました。

この続きも読んでね♥(Please click)
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-05 00:23 | 社会の時間
『失敗』を繰り返さない方法を教えます
a0029616_23281035.jpg
■多くの犠牲者を出したJR西日本の脱線事故。
事故は「収益が第一で安全は二の次」というJR西日本の姿勢がもたらしたと言われている。
JRは事故原因を徹底的に追究し再び事故が起こらないよう努めていただきたい。

■先日、毎日放送「ちちんぷいぷい」(司会、角淳一)という番組に「失敗学」でお馴染みの畑村洋太郎教授が出演され、今回の事故についてコメントされていた。
失敗学とは、事故や失敗発生の原因を解明することにより、事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供する学問である。
「人間は必ず失敗を犯し、戒め、そして忘れ、繰り返す」という人間心理学にも通ずる学問だそうだ。

この続きも読んでね♥(Please click)
[PR]
by asatte_no_houkou | 2005-06-02 23:57 | 社会の時間