【主催側断念で京大のミスコン中止】 ■京大の学園祭でミスコンをしようとしたところ、一部学生が反対したがために中止せざるを得なくなったようです。 正直なところ「まだ反対している人がいたんだな~」とちょっと驚いた。 ■ミスコンに反対している人たちの主張は、 フェミニズムという思想を基礎としているのでしょう。(と言っても、フェミニズムにもいろいろな主張があるわけで、フェミニストだからミスコン反対ではないとは思いますが) ミスコンは、ジェンダーという社会的に作られた性的な区別(性差)を助長してしまうのであきまへん!」ってな主張なのだと思います。 ■私は、このジェンダーフリー思想(社会的な性差を無くしてしまおうとの思想)を否定するつもりはありません。(京大でミスコンを開催しようとしている人たちも、必ずしもジェンダーフリーに反対の人たちではないようです) 私は、性別は固定観念にすぎないと思っています。 男と女の区別は慣習や制度の一種であって、それには既得権や利害がまとわり付いており、人間を縛っています。 である以上、無くす方向で行くべきだと個人的には考えています。 ■しかしだからと言って、「無くすべきではない」と思っている人にこの主張を押し付けようとは思わない。公教育の場において強制的にジェンダーフリー思想を教えるべきだとも思いません。 ■左翼的な一部のフェミニストの人たちは、国旗国歌の強制は思想良心の自由を侵害することにつながるから人権侵害だと言います。 しかし他方で、ジェンダーフリーを公教育の場で押し付けようとしています。 これは明らかな矛盾ですよね。 (左翼系の人は結構、こういう矛盾が多いんです) ■さてミスコン論争について。 ■世の中には、容姿が美しい人、足が早い人、歌がうまい人、人を笑わせることができる人、演技がうまい人・・・ 様々な才能を持つ人がいます。 彼らはそれ相応の努力をしてその才能を活かそうととします。 努力は報われるべきだし、才能がない私たちはそれを見て感動したり楽しんだりしたらいい。 ■足が早い人のためには、いろいろな競技会があります。 そしてそれは男女区別して行われます。 体力的な差(セックス)がある以上、区別は当然ですね。 ■容姿についてもミスコンのような何らかのイベントがあってしかるべきでしょ。 容姿についても男女の区別はある。 体つきが違うわけだしね。 だから男女の区別をしてミスコンを開くのは当然ではないでしょうか。 ■え?「その考え方はジェンダーに縛られている」って? まあ、そうかな。 でも自己決定=自己責任に基づいて開催し、自己決定=自己責任で参加するイベントを無理やりに中止させるってのはどう考えてもやり過ぎじゃないかな。 ■こんなことを言うと「その考え方は制度が持つ抑圧性に加担するものだ」なんて批判する人がいる。 なんだかな~ 抑圧的とかそんなのが自明であった世の中って過去のものだと思うんだけど。 どうでしょう? 人気blogランキングへ
by asatte_no_houkou
| 2004-11-28 01:00
| 社会の時間
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