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てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その4
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■続きです。
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その1
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その2
てっちゃん(宮崎哲弥氏)が語る『ナショナリズム』その3

■てっちゃんはある興味深いデータを紹介します。
日本のナショナリズムの現状を示すデータとしては、電通総研が五年に一度、各国の研究機関として共同で実施している「世界価値観調査」が参考になる。
その2000年の調査結果によれば、「自国の国に誇りを感じるか」という問いに対し肯定的に回答した日本人の割合は全体の54.2パーセントであった。74か国中71位の低率だ。
また「戦争が起きたら進んで国のために戦うか」という設問に対して「戦う」と答えたのはわずか15.6パーセント。順位は59か国中最下位の59位。アメリカでは63.3パーセントが、フランスでは58.6パーセントが、95年の調査ながらスウェーデンでは85.4パーセントの人々が「戦う」とした。
これに対し「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」という考えを肯定する日本人の割合は実に65.7パーセントにも上っている。世界的に見ても高水準である。

■てっちゃんはこのデータをもとに以下のように分析します。
この数値から浮かび上がるのは、国民として義務や責任を積極的に果たそうという自律的意思の欠如と、それと裏腹の国家への依存成功の顕著な高さである。
あえてこれをナショナリズムの亜種に見立てるならば、「パラサイト・ナショナリズム」とすべきだろう。

■国家には義務があります。
それは国民の権利・自由を守ることです。
国家は何よりも先に国民の権利・自由を守らなければならない。
それゆえ「国民皆が安心して暮らせるよう国はもっと責任を持つべきだ」は正しい。

■しかし一方、国家を成り立たせるには一定のコストを国民は支払わなければなりません。
自分たちの自由や権利を守るために国家を組織する。
そのためには納税、兵役などのコストを支払う必要がある。
いわば契約の表裏の関係に立ちます。
これは近代国家の原則です。

■ところが日本人にはそのコストを支払う意識はあまりない。
おそらく納税の意識も諸外国と比べて低いことでしょう。
権利は享受するけど、義務は果たさない。
これぞ戦後民主主義教育の結果!
延いては日本の戦後民主主義が、占領軍による強制というおよそ民主主義にふさわしくない方法で導入された結果といえるでしょう。

ちなみにかかる依存、非自律率の傾向は、国家意識とは逆の、権利意識の方向からも裏付けることができる。
NHK放送文化研究所が調査した「日本人の意識・2003」によれば、日本人が憲法上の権利として最重要視しているのは「人間らしい暮らしをする」という受動的な権利である。
選択肢の中から複数回答可で「権利と思うもの」を選ばせる設問で、75.5パーセントという圧倒的な支持を集めているのだ。
然るに権利行使に何らかの主体性を要する「思っていることを世間に発表する」「労働組合を作る」といった能動的権利に関しては、それぞれ36.2パーセント、20.4パーセントと驚くほど低い選好率を示している。
あまつさえ「税金を納める」という義務を権利と見誤った人の割合が42.2パーセントにも達しているのである。これは義務意識の浸透を表しているのではなく、憲法上の権利と義務の分別という、公の基本原理に関する日本人の無関心と無知を象徴する数字と解すべきだ。

■情けない・・・
中学生レベルの知識をマスターできていないなんて・・・
権利意識の面でも「パラサイト・ナショナリズム」が明らかに。
病膏肓に至る。

福沢諭吉は「一身独立して一国独立す」と近代的ナショナリズムの理念を定式化した。
丸山眞男がこれを取り上げ「もたれかかり的『くに』意識」=パラサイト・ナショナリズムとは反対の愛国的態度だと評価したことはよく知られている。

■「一身独立して一国独立す」は、『学問のすすめ』に出てくる有名なフレーズですね。
わが日本国人も今よりも学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。
道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり

■最後に『リアル国家論』での、てっちゃんの言葉を。
国家にアイデンティファイすることなく、国に忠誠を誓約することなく、憲法を含む国家システムを自らの道具としてどのように「活用し」、いかに連帯や相互扶助と個人の自律が矛盾しない共同性の領野を切り開いていくかが、長期的な視野に立った、私たちのリアルな「政治課題」なのです。

国家にアイデンティファイしないナショナリズムを心的資源として、冷徹な分析に基づき国家をコントロールするべきである。
と、私は思います。

おしまい。

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by asatte_no_houkou | 2005-06-21 01:04 | 国家・ナショナリズム・愛国心
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